業務日誌

東京農業大学(元三重大学)教員による業務日誌です。農業経営学の見地から,食料・農業・農村・環境の問題を考えています。

3月30日(日):学会2日目

・昨日に引き続き,学会に参加。終了後,三重に帰還。
 
・空き時間,帰り時間に原稿の執筆。
 
学会では午前中に,学会の課題に関するシンポがあった。農業経済系で最大の学会がどのような運営上の課題を抱えているのか,おおまかには分かっているつもりでいたが,担当理事の方々から直接発表を聞く機会はそうそうない。
 
今回出た大まかな問題は,1)財務(赤字体質),2)学会投稿(査読期間が長すぎる・投稿数が少ない),3)学会への世代間温度差。
 
1については,収支を合わせるというだけなら,それなりにできるのだろう。したがって,本質的課題は2と3。
 
2については,業績主義が徹底されている中,査読期間が相変わらず長すぎることが課題とされたが,果たしてそうか。より本質的な課題は「査読の質」向上だろう。この部分は性善説に基づいて触れられない。誤解を避けるために付言すると,今まで自分が筆頭著者として投稿した論文に対する査読コメントに悪意を感じたことはない(ほぼ何も見ずに採択とされたことはあったが:苦笑)。厳しいコメントがついても,それは自分が納得できるものだった。要は個人的な恨みを言っているのではないということ。もっとも,「自分が筆頭著者として投稿した論文」と限定をかけているわけだが(笑)。
 
自分自身,審査する側・される側の両方の担当が増えているので,余計に感じていること。
 
3については,学会員が,世代の上から順に「政策談義好き」「業績好き」「研究好き」に分かれ,それぞれに交流がないことが問題とされた。この類型化からの含意についてはシンポでもやりとりがあったが,個人的にはこの類型化自体が疑問。
 
あえて自分を当てはめるとすれば,主観的には「研究好き」だが,周囲からは「業績好き」に見られているかもしれない。ただ,研究者である以上「研究好き」なのは当たり前だし,業績は好き嫌いではなく必要なもの。また,社会科学である以上,政策と距離を置くことはあっても,政策に背を向けた研究もあり得ない。
 
つまり,「政策(論争)」も「業績」も「研究」も大事。これのどこに重点を置いているかで類型化することにあまり意味があるとは思えない。より本質的な問題は,この類型化のどこにも属さない学会員が多数存在することではないのか。すなわち,政策論争もしない,業績も出さない,研究もしない,という人たち。シンポで提示された3類型に明確に属する人たちは,むしろ健全だろう。3類型のいずれにも属さない人の多さが2(投稿数)に波及しているとみるべき。学会発表は多いというが,実際には学会員の1割にも満たないわけだから。
 
さらにいえば,上の世代の共通認識として,「若い人たちは研究の視野が狭い」というのがある。自分がどの世代に属するかはともかく,上の世代でも視野が狭く,思い込みが激しい人がたくさんいる(もちろん,視野が広い方もいる)し,自分より若い世代の視点の鋭さに感嘆することもある。その共通認識に疑問を持たない事自体,「視野が狭い」。
 
これは研究だけでなく,教育でもそうなのだが。
 
こんなことを本業務日誌に書くのもどうかと思ったが(言いたいことがあるならシンポで発言しろよ,と),結果として発言しなかったし,かといってどこにも書かずにおくのもどうかと思い,備忘録として記すことにした。
 
明日は年度最終日。